第八話






痛みも 涙も 生きる力に変えてみせる


望みの向こう側で


君と会うまで







轟々と風がうなり、視界は雑音を形にしたような白で覆われている。
深雪を踏みしめる足音は、地の柔らかさとは対照的に重く無機質で感覚を狂わせる。それを幾度も幾度も繰り返して長いこと歩いていた。聞こえるのは驚異的に終わることのない風のうなりだけ。むき出しの耳朶は手で触れても何も知覚しない。かといってその機能を麻痺したわけでもなく、風の音以外に何も聞こえないのはこの中で言葉を交わすのはひどく体力がいるため、みな呼吸をするので精一杯だったのだ。

そんな中、突然吼える様な叫び声が風音を割って鼓膜を叩いた。後方から聞こえたその声に、私は剣の柄に手をかけると勢い込んで振り返った。


「…………」

「……?」

「何? みたいな顔をするな! 何なんだ、突然!」


前方を歩いていたサダルも何が起こったのかと緊張を張り巡らせて振り返る。だがその原因を見て取ると呆れたような、情けないような、なんともいえない表情を作った。


「……サルメ」


一気に緊張が剥がれ落ちて我々は安堵すると同時に思わず笑いをこぼした。互いの声が聞こえるように距離を縮める。


「とりあえず、無意味に叫び声を上げて我々を混乱させた理由を聞きたいんだが」


ため息とともに私が言えば、サルメは「心外だ」といわんばかりに目を見開いて手を振った。


「だってさっきからずーっと黙ってて、喉が凍っちゃうんじゃないかと思ったんですよ。そんなことになればいざってとき困るでしょう。ほら、私のほうが絶対まともな声してますよ」

「そうか?」

「そうですよ」


確かに暫らく声を出していなかった所為で、吐き出された声には多少の違和感があった。掠れたような小さい声は風の音にかき消される。
首をひねる私とサルメを、サダルが見比べていた。真剣に、少しだけ眉をひそめて思案する彼は本当に私とサルメのどちらの声がまともか考えているのだろうか。


「な、サダル。どっちがまともだと思う?」

「……わからない。サルメは元々声がでかいし」

「サダルは元々ぼそぼそしゃべるし?」

「うるさい。何で私の話になるんだ」


眉を歪めて威嚇するように詰め寄るサダルにサルメは笑い声で返した。サダルは大げさにため息を吐いて、私に向かって困ったように笑って見せた。

それはいつもの光景だった。
各々の思いや複雑な感情はそれぞれの形で収束し、今こうして新たな形で互いを認め合っていた。そのことが私はとても嬉しかった。


『サルメが最近私に当たりが強い気がする』


先日ふとしたときにサダルが愚痴のようにこぼした言葉を思い出す。確かにそうかもしれない。サルメと私が互いにからかい合うのは常のことだったが、その矛先がサダルにまで向いてきたように見える。だがそれはきっとサルメだけが変わったわけではなく、サダルもまた変わったからだ。
強くなったというか。前までサダルの中には私に対する恐れや怯えが少なからずあった。それは彼が私を愛する対価のようなものだったが。今ではそれがなくなったように思う。人の心を見透かすような真っ直ぐな瞳は今では間違いなく彼そのものを表していて、彼にはもう迷いはなかった。彼が信じるものは自分の想い唯一つ。そうして全てを受け止める。


「やっぱり喋らないのはよくない。そのうち誰かが凍死しても気付かないで先に行っちゃうかも」

「でも無駄に体力使うのもどうかと思う……」


一語一語搾り出すように話すサダルは両腕を抱えて寒さを和らげようとした。だがもちろんそんな程度で和らぐような生半可な寒さではない。


山頂は幾日か前に超えている。既に地上まで大分近いはずだ。一気に降りてしまおうと思っていたが、正確な距離はわからない。


――さて、どうしようか。


今ここで一休みしていくか、先に進むか。だが迷った時点で答えは決まってしまっていた。冷気を叩きつけるような強風にあおられた瞬間、私の口は勝手に言葉を発していた。


「山肌に沿って進もう。洞穴とか、どこか寒さをしのげるところがあれば少し休んで、それから行こう」

「そうですね。風もさっきより強くなっているし、収まるのを待ったほうがいいかもしれない」


二人とも私の言葉に待ってましたとばかりに首を縦に振った。